徳源院の歴史・概要

鎌倉中期に近江を領していた佐々木氏が、六角氏、京極氏、高島氏、大原氏に分かれ本家に当たる六角氏は、信長に滅ぼされたが、京極氏は、江戸時代も大名家としてつづいた。霊通山清瀧寺徳源院は、この京極氏の菩提寺である。
寺は、京極家初代氏信の草創(1283)で寺号も氏信の法号の清瀧寺殿から称したものである。京極氏も戦国時代の荒波にもまれ、18代高吉の時代にはその勢力を大きく失うが、19代高次が関ヶ原の戦いの功績でその勢いを盛り返し以後いくつかの転封があるが最終的に四国丸亀藩として明治維新まで続くことになる。
その意味でこの寺は19代高次を京極氏中興の祖と位置づけ高次公を中心に祀ってある。寛文12年(1672)、22代高豊は領地の一部とこの地を交換して寺の復興をはかり、三重の塔(県指定文化財)を建立し、院号も21代高和(丸亀藩初代)の院号から徳源院と改称した。このとき、近隣に散在していた歴代の宝篋印塔をここに集め、順序を正して整備したものが、現在に伝えられている京極家の墓所(国指定史跡)である。また、裏の池泉回遊式庭園(県指定名勝)はこの時整備されなおしたもので、江戸時代初期の典型的な作風で清滝山を借景に四季折々の変化を楽しめる。遠州作の伝もあるが、資料としては残っていない。

以前の本堂は宝暦8年(1758年)に改築された本堂で、雨漏りなども激しく、平成14年に上のように再建しました。